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 薬学部を卒業して65年 


(会報62号13ページより) 白石 哲也(昭32)

 昭和32年(1957年)3月に薬学部を卒業して65年の年月が経ち,今年は健やかに88歳を迎えました。その中にあって薬学部での4年間の記憶を辿り,次いで最近の姿を追って見ます。薬学部で学んだことが,その後の生活で貴重な財産となり今日に至っております。

  昭和28年4月,長崎大学の入学式が大村分校で行われ,一般教養の1年間を大村市で過ごしました。大村分校は小高い丘の上に建ち,西に大村湾を望み,北に玖島城跡が見える自然豊かな中にありました。大学では流暢な英語で「サロメ」を講義する山口先生やドイツ語の支倉先生を思い出します。
 翌年に昭和町の薬学部校舎に移り3年間を過ごしました。2年次のドイツ語は小澤先生でした。カルテや処方箋はドイツ語で書かれていましたから。友人との会話でもダンケシェーン,グーテンモルゲン,メッチェン,ドッペル,アイン・ツヴァイ・ドライなどの単語が交わされていました。
 講義は7研究室(薬化学,生薬学,薬品製造化学,衛生化学,薬剤学,薬品分析化学,生化学)の教授・助教授から受けました。実習は2年後期から午後に主として助手・実験指導員により,実験器具や顕微鏡・微量天秤など機器取り扱い方を教えてもらいました。生化学ではジアスターゼの活性測定を,薬品分析化学では無機イオンの種類・含有量を求める定性・定量実験を,物理化学では実習中の操作ミスで高価な器具が使えなくなり実験が中止になったことなどを思い出します。
 4年次には研究室の消灯がいつも最後と言われていた薬品製造化学の小林茂助教授の研究室に小林浩君(昭32)と二人が入りました。テーマはフェニル酢酸の合成などでした。ここではダブルチェックの大切さやChemical AbstractsやBulleteinにはじまる文献調査の方法を学びました。

 卒業2年後には実習ではいつも同じ実験台で学んだ志方葉子(昭32)と結婚しました。

 卒業後は武田薬品に入社し,定年退職するまで主として工場で発酵生産物(抗生物質,食品添加物など)の工業化や生産に携わってきました。在職中に55歳の定年が60歳に伸びていました。その後,阪本漢法製薬に68歳まで務めサラリーマン生活を終えました。
 この頃,姫路市豊富町(北東に位置する市川左岸)の田畑の広がる分譲地に住んでいました。

 これからは地域の方と共に歩もうといろいろな催しに参加しました。
 親しくなった隣地区の自治会長から野菜作りをしませんかと声がかかり,1反(991.7㎡)の畑を友人と3人で借りました。放置しますと年数回の草刈り費用が要りますから使用料は無料ですと。
 近くの農家の方から土作りから始まり,野菜作りの要点を色々と教えてもらいました。年を追うごとに葉菜・果菜・根菜の栽培数が増えましたので,耕運機や水中ポンプを備え,今では1年に約40銘柄の野菜を収穫しています。ゴボウ,レンコン,きのこ以外はほぼ自給できており,収穫した野菜は家族をはじめ知人や修道院の方々にお分けしています。いつも味や香りが店で買ったものより良く甘みがあると好評です。毎年秋には私の住む団地の小学生10数名をサツマイモ掘りに招待していました。
 野菜作りは毎年同じようには進みません。日照時間,気温,雨量,地質,昆虫,小動物,微生物などの影響を受け,種蒔き時期,生育の状況,収穫量が変わります。葉菜・果菜の病害虫予防などにはネット掛けをして農薬は使わず,異変を見つければ切除することにしています。連作障害を起こす品種がありますので,畝ごとに植え付けた野菜を,また収穫量を毎回エクセルに記録しています。
 天気予報と過去の記録を見つつ次の作業に移ります。野菜作りは奥の深い仕事だなと思います。
 10数年の野菜作りで思わぬ喜びを幾つか感じています。畑でよく体を動かし汗を流しながら農作業を続けるうちに,体重や内臓機能の血液検査値は参考値内に殆ど収まるようになりました。同じ野菜の収穫はしばらく続くため,妻は料理のメニューに工夫を加え,食卓が賑やかになってきました。共に健康寿命が伸びたように思います。ジャガイモ,サツマイモ,里芋,生姜などの収穫時には子供・孫・友人が応援に来て賑やかな集いになりました。
 食品需給率の低い日本にあって省エネにも寄与していると思い,これからも体の続く限り野菜作りを続けたいと思います。

白石 哲也(昭32)