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 鶴大典先生を偲ぶ会 


(会報62号13ページより) 伊藤 潔(昭59)

 長崎大学名誉教授鶴大典先生が令和3年10月16日永眠されました。30名ほどの門下生が長崎に集まり開催した偲ぶ会について紹介します。鶴先生は長崎大学薬学部長を二度(昭和59-63年,平成4-6年)務められた後,平成14年まで熊本の崇城大学の教授として学生の指導に当たられました。崇城大学を退職後も折にふれて同門会を開催し,お酒も飲みながら元気に参加してくれていた鶴先生の訃報が届いたのは10月22日,コロナ禍のため,すぐには何もできませんでしたが,令和4年の5月3日,長崎のホテルで同門の偲ぶ会を開催しました。写真は参加者で,中央で写真をもっていらっしゃるのは九州工業大学教授のご長男,正人様です。

 偲ぶ会では,懐かしい写真が紹介され,お互いにも懐かしい参加者の会話も弾みました。一部を紹介しますが,まずは鶴先生の御略歴をまとめてみます。
 鶴先生は熊本のお生まれで,昭和26年3月に九州大学農学部を卒業後,大阪市立大学理工学部の助手,助教授を経て,昭和46年7月に長崎大学薬学部の教授として赴任されました。一貫して微生物由来のプロテアーゼの基礎と応用を主研究テーマとされました。昭和39年,高度に精製した枯草菌の中性プロテアーゼが1分子あたり1個の亜鉛を含む金属酵素であることを初めて明らかにされ,昭和44年には日本農芸化学会奨励賞を受賞されています。長崎大学薬学部に赴任された後も同様に研究を進められ,ヒトの体内ではそれ以上代謝されないクレアチニンを代謝する微生物酵素の研究を通してクレアチニンの酵素的測定法の開発に大きく貢献しました。その業績を含め,平成5年には日本農芸化学会の功績賞を受賞されています。薬学部に大学院博士課程をつくられたことも鶴先生の大きな業績です。

 薬品製造工学研究室の卒業生は約170名を数え,多方面で活躍されています。特筆すべきは2名の大学学長が含まれていることではないでしょうか。昭和52年卒の片岡洋行氏,昭和54年修了の荻田喜代一氏です。偲ぶ会参加者の平均年齢は,皆さんの想像通りやや高めでしたが,平成7年卒業の田辺夫妻も駆けつけてくれ,それぞれの年代,あるいは年代を超えて多くの会話が弾みました。印象的なもののみを独断で簡単に紹介します。昭和49年だったでしょうか,学園祭の研究室対抗かくし芸大会での一コマやソフトボール大会優勝の記念写真,昭和61年の4年生学生が男だけだったときのこと,昭和63年の還暦祝い,平成2年の研究室写真には5名の博士課程学生に3名の外国人研究者の姿もありました。写真なしの昔話もたくさん聞くことができましたが,特に印象に残ったものとして,どなたが言われたのかは定かではありませんが,鶴先生は「セリン酵素をシェリン酵素」と言っていたというのが耳に残っています。また,白衣の腰にタオルをぶら下げていたなあと言うのも,「ああそうでした」と大変懐かしく感じ,写真を探してみましたが,白衣姿の鶴先生を見つけるのがやっとでした。
 会にはもちろん芳本忠先生(特)も参加され,要所はきちっと締めていただきました。鶴大典先生のご冥福をお祈りいたします。

 最後に,偲ぶ会は離れますが,久しぶりの長崎は大きく変わっていました。特に長崎駅周辺は印象的でした。文教町キャンパスを訪ねた同窓生もいらっしゃいましたが,私は,芳本先生からも聞いていた小島療養所及び関連遺跡・分析窮理所関連遺跡の碑が経つ仁田佐古小学校(旧佐古小学校)へ行ってみました。いくつかのサイトをQ R コードにしたものを載せてみます。会報を読んだついでに,ちょっと長崎の街を確認してみるのはいかがでしょうか。リンク先はためしてのお楽しみです。わかるでしょうか。

 分析窮理所遺構の記事をご参照ください。

伊藤 潔(昭59)